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2010年05月02日

史跡めぐり① ~勝連半島へ~

ゴールデンウイーク突入の昨日、久々の史跡めぐりに出かけました。
ガイドにいくらさんのお父さんをお願いし、総勢6人。
昨日のコースは、勝連城跡のある勝連半島から伊計島まででした。

センターを午前9時30分に出発。
西原から琉球大学を左手に見ながら走りました。すると、前方を走っていたお父さんの車が突然止まりました。辺りを見渡すと、史跡らしいものは何もありません。
史跡めぐり①  ~勝連半島へ~
「あの建物の向こうに見える丘があるでしょう。あそこは、日本に行く前に沖縄に立ち寄ったペリー(幕末に蒸気船4隻を率いて、日本に開国を迫った人)が旗を立てたと言われる場所『ペリーの旗立て岩』です。」
今までに、何百回と走ったこの辺りにこんな史跡があるなんて、まったく知りませんでした。
史跡めぐり①  ~勝連半島へ~
北中城を通って、沖縄市泡瀬から与勝半島に入りました。
勝連城跡の前を通ったのですが、ここは帰りに寄るということで通り過ぎ、海中道路の休憩所で、トイレタイム。
てんぷらとやきもちを買って、食べてしまいました。
天気がよくって、ドライブ日和で、海もないでいました。
車も多くって、海でウインドサーフィンをするニィセェが多かったです。

一路、平安座島から宮城島へ。
宮城島の旧道を走って、島の上に行きました。
島の上は平たく、畑がありました。
サトウキビだけではなく、タバコも栽培していました。
史跡めぐり①  ~勝連半島へ~
宮城島には、沖縄の和文学者として名高い平敷屋朝敏の妻、真亀が詠んだ琉歌があります。
夫・朝敏が琉球王府により処刑されたことに伴い、士族の身分を剥奪され、この宮城島に流されたのでした。
この島で世話になった島民への感謝の気持ちと、それでもなお本当に帰りたいと願う思いが、詠まれているのだそうです。
史跡めぐり①  ~勝連半島へ~
歌碑の後ろから見える眼下の風景は、見事でした。水平線がはっきり見えると、もっときれいだろうなあと思いました。穴場ですね。
史跡めぐり①  ~勝連半島へ~

次は、伊計島に渡りました。 「史跡めぐり②」につづく



Posted by kintaro at 13:15│Comments(0)
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