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2010年02月11日

大野さんの講演会

大野さんの講演会

興南高校1学年PTAの学年行事で、1991年に沖縄水産高校のピッチャーとして、夏の甲子園準優勝をし、大学卒業後、読売ジャイアンツにいった『大野倫』さんを講師に迎えて、『突っ走れ!自分の夢に向かって』と題して講演会を開催しました。

大野さんは、現在、学校法人『福原学園』九州共立大学の沖縄事務所長として、沖縄の子どもたちを自分の母校「九州共立大学」に送り出す窓口となる仕事をしています。

大野さんは、「早く目標を見つけて、その目標に向かって、コツコツと努力してください。そうしたら、誰かが見てくれています。誰かが、チャンスをくれます。」とおっしゃっていました。
「なんくるないさぁ」よりも、「なんくるすん」という気持ちから、チャンスが自分の目の前にやってくるのです。

小学4年の時に、少年野球教室に来た中日ドラゴンズのコーチに「君、いい球を投げるねぇ。がんばったら、プロ野球選手になれるよ。」と言われたことがきっかけで、大野さんは、これからずっと、プロ野球選手になるんだと思って、練習に励んだんだそうです。
沖水に行くときも、周囲からは「無謀だ」「レギュラーになれない」と言われたそうですが、それでも、周囲の言葉をよそに沖水に進んだのだそうです。

大野さんは、高校卒業後、九州共立大学に進学しています。
やはり、そこでも、野球に打ち込みました。
大学で、ジャイアンツの本部の人の目に留まったのだそうです。しかし、それは、偶然のような、必然のような出来事だったとおっしゃっていました。
◇◆
九州を担当するジャイアンツのスカウトマンは、別の学生を本部に報告していました。スカウトマンと本部の人が見学に来た時は、あいにくと大学の野球部は、練習が休みの日でした。お目当ての学生も練習をしておらず、ただ、グラウンドで練習していたのは、後輩にピッチャーをお願いして、バッティングをしていた大野さんだったそうです。
本部の人は、しばらく、大野さんのバッティングを見ていて、「あいつを今年は指名する。」「でも、あれはお目当ての学生では……」「いい、あいつにする」。
大野さんの知らないところで、そう言うやり取りがあって、大野さんは読売ジャイアンツに入団したんだそうです。

大野さん曰く「ほかの人たちが休んでいるときに、練習をしていたから、僕は見てもらうことができた。チャンスは、人がくれるものではない。自分でコツコツとつくっていくもの」

プロをやめるきっかけは、自分の目の前にあったチャンスを見逃したことだそうです。
◇◆
ジャイアンツで5年、トレードでダイエーホークスへ。
王監督から「代打、大野」の掛け声に、大野さんはバッターボックスに立ちました。
大野さんは、目の前を通過するボールを、「3球見逃しの三振」をしました。
ベンチに戻ると王監督に、2軍行きを言われたのだそうです。
プロにとって、目の前を通るボールは、結果をつくるチャンスであるし、次につながるチャンスである。
そのチャンスを見逃したことは大きかったそうです。


チャンスをつかんで成功することもあるし、チャンスをつかんで失敗することもあります。
チャンスはあくまでもチャンス、活かすも殺すも、自分次第だと言うことをおっしゃっていました。
「チャンスは、つかまないことには、何も始まらない。」とも。


興南高校1年の生徒の心の片隅に、すこしでも響いてくれたらなあと思います。
何かに打ち込んでいるときに、少しでも、そのことを思い出してくれたらなあと思います。

kintaroは、帰りがけに、大野さんと握手をしました。
謙虚で、さわやかな36歳でした。
機会があれば、ゆっくり話をしてもらえたらなあと思いました。

大野さん、ありがとうございました。



Posted by kintaro at 16:13│Comments(0)
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