てぃーだブログ › 浦添ぱいぷらいん › 首里城周辺まーい
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

2006年04月09日

首里城周辺まーい

昨日のこと。
職場の照屋さんの誘いで、首里城周辺まーいに参加しました。
奥さんに話したら、「一緒に行こうかな。」と。で、家から首里城までオートバイで二人乗りで行きました。
首里城公園の入り口の信号のところで待ち合わせしました。
参加者は、照屋さん、東迎さん、斎藤さん、比嘉さん、うちら夫婦に、案内の照屋さん(照屋さんのお父さん)の7人です。
首里城周辺まーい

まずは、首里高の向かいにある「玉陵(たまうどぅん)」に入りました。
ここは、首里王朝第2尚氏のお墓になるんだそうです。
王様や后、妃のお骨がおさめられています。
首里城周辺まーい
玉陵には、はじめて入りました。

その後、首里城に入りました。
首里城周辺まーい
順路に従って、歩いていくと、スタンプを押すところがあり、スタンプラリーで楽しんでしまいました。
歓会門からスタートしましたが、いろんな門がありました。
照屋さんの説明で、今まで知らなかったことや裏話なども聞けて、大変勉強になりました。

首里城など、城址、遺跡などは、ガイドさんと一緒に行くといいですね。

一番印象に残ったのは、玉陵に入らなかった尚寧王のことかもしれません。
尚寧王は、ご存知、薩摩が侵攻してきたときの王で、しかも、尚氏の直系ではないのです。
前の王に男子がいなかったので、浦添城にいた尚寧王が即位したのでした。
尚寧王が玉陵に入らなかったのは、玉陵が直系しか入れなかったことと、薩摩侵攻を許した自責からではないかと言っていました。
浦添城に帰った尚寧王には、子どもがいなかったので、浦添城の系統もそこで途絶えたのだそうです。

浦添にいると、つい、瞬天、英祖、察度の3人が有名ですが、尚寧王も浦添にいたのかと思うと、浦添と首里王府の関係をちょっと知りたくなりました。

案内してくださった照屋さん、誘ってくれた照屋さん、ありがとうございました。

見学が終わったあとは、石畳瑞盛館で沖縄そばを食べました。



Posted by kintaro at 20:31│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。